この記事では、誰もが幸せになる休息のヒントや偉人達の名言を紹介!
今回は「アンリ・ポワンカレ、ピーター・ドラッカー、セーレン・キルケゴール」です。
数学者 アンリ・ポワンカレ
19世紀最高の数学の天才は「頭を使う時間」を決めていた。英国の大文豪チャールズ・ディケンズは朝9時から昼の2時まで書斎にこもり、5時間執筆するとその日の仕事を終えた。進化論のダーウィンは1時間超の2回の散歩に加え1時間の昼寝、それでも残業もせず育児と研究を両立させた。天才は仕事嫌いだったのか?
・・・そうではありません。
彼らはむしろ人一倍、成功に意欲的だったのです。
彼らは成功したかったからこそ、労働時間を制限することで「集中」と「休息」を大切にしたのです。
そしてこれは一部の天才に限った話ではありません。
才能があるから休息が許されているのではないのです。
才能をまねることはできませんが、彼らの習慣を真似ることはできます。 「休みを削ってカバーする」は一時的には天才たちに追いつき凌ぐ成果を出すかもしれません。
ですが、それは健康と命を削ることと同じです。
かつて平日17時間を費やして倒れた私こそが悪しき事例です・・・
「それでも構わない!」という強い意志を持つ方に質問です。
最近、閃きはありましたか?
創造的な仕事はできていますか?
あなたがこなしている仕事は、
実は自分がやらなくてもよい、そして本当はやりたくない、単純で不合理な仕事ばかりではありませんか?
あなたの強い意志と類まれなる行動力を費やすのはそこではないはずです。
休息はあなたに冷静さを、そして創造性をもたらします。
より良い仕事をするために、作業時間を見直しましょう。
まずは定時で終わらせることに全力を尽くす。それから休みのことを考えてみましょう。 怠けるのではなく、あなたの更なる飛躍のために。
経営学者 ピーター・ドラッカー
ブラック企業の管理職時代、そもそも有休をとる選択肢すらありませんでした。
とろうともしませんでした。
自分が率先して身を粉にして働かなければと信じていました。
土日であれば子どもの行事には参加できましたが、正直言って疲労困憊。
午後には来週の仕事のことで頭がいっぱい。
会社を休むことだけが家庭を大切にすることではない
この言葉には前文があります。
「会社よりも家庭が大切である」と。
しかし、私たちが考えなければならないことは、
どうにかして休むことではなく
何が自分と家族にとって意義ある選択であり行動なのかを考えることではないでしょうか。
家族が何より大事であったとしても、自分が休むことは、手段の1つでしかありません。
ひょっとすると親類や他の誰かに行ってもらったほうが助けになるのかもしれない。
1時間待てば状況が変わるかもしれない。
あなたが家族のためにと投げ出そうとするその仕事は、今の今まであなたが家族のためにと必死にやっていたことではありませんか?
常に休むことが最良の手段とは限りません。
それは安易な思考停止かもしれません。
休むことだけが家族としての責任を果たすことではないのです。
・・・疲労困憊の顔で駆けつけるも終始うわの空な父親(ワタシ)
こんな親が来て子どもは嬉しいと思ったでしょうか。
こんな疲れ切った顔を見て、子どもらは将来に希望を持てるのでしょうか。
忙しいのに来てくれたんだね、と同情はしてくれるかもしれません。
疲れ切ったお父さんに「あーしろ」「こーしろ」と言われても、子どもが言うことを聞かないのは当たり前ですね。
だって「あーした」結果、疲れ切っているのがお父さんなのですから。そうはなりたくないと思うのが自然です。
これまた同情で話は聞いてくれるのかもしれません。
でも、私が親として伝えたいことはそうではありませんし、同情されたくもありません。
仕事であろうとプライベートであろうと、いつも輝いている姿を見せることで、将来への希望を持ってもらいたいのです。
いつもかっこいいお父さんがそういうんだから、自分もやってみよう
そういう勇気と希望を与える存在になりたいのです
だからこそ「常に時間の余裕をつくっておくこと」が大切
休むことがベストと判断したとき、躊躇なく即休める
時間に余裕があるからこそ、気力も体力も充実し、色んなことに全力でチャレンジして輝いて見えるはず…
そもそも疲れ切っていると、子どもの話を集中して聞けませんし、大切な成長過程も見逃してしまいますよね
常に側にはいられないけれど、困ったときは必ず駆け付け、話はいつも全力で聞いてあげられる
そんなパパを目指している私です。
哲学者 セーレン・キルケゴール
朝、どうしてもモヤモヤが晴れなかったら、することはただ1つだけ。
哲学者を「follower(付き従う人)」と呼び、ラテン語では「歩くことによって解決される」(solvitur ambulando)と表現するように、古代より「歩く」と「考える」は密接な関係にありました。
問題について考えなくても、本能的にそのことを人は考え始めます。悩まなくてもアイデアがあふれてくる。次第に無秩序に浮かんだアイデアの中に、最善の答えが見つかる。
自分に何ができるのか、何をすべきなのか、何を捨て去るべきなのか何を捨て去るべきなのかがわかってくる。
週の初め、何かすっきり気持ちよくなれないときにすることは1つだけ。
まずは無心で歩こう。
悩むのはそれからでもいい。
きっと本当に集中すべきことが見えてくるはず。
今日も、今週も穏やかに過ごしましょう