この記事では、誰もが幸せになる休息のヒントや偉人達の名言を紹介!
今回は「ウィリアム・オスラー、スティーブ・ジョブズ、マルクス・アウレリウス・アントニヌス」です。
医学者 ウィリアム・オスラー
医療実習制度の父と呼ばれる彼いわく、
増え続ける要求によって、最も好奇心の強い人でさえ、「次第に疲れ果て、それでも休めなくなる」
だからこそ、そうなる前に
芸術・科学・文学の世界とのつながりを保つのに役立つ”知的な娯楽”を開拓することはとても重要だと説いています。
彼の弟子には、脳と睡眠を語るうえでは欠かせない、神経外科医ワイルダー・ペンフィールドがいます。
そして彼も自分の弟子の医学生たちに、こう言っています。
今のうちに他のことへの興味を育んでおけ
さもなければ、専門家になるにつれて、
ひそかに進行する病が君たちを職業以外のことから遠ざけ
寂しい孤独の中に閉じ込めるだろう
「戦略的な休息」は、決して受動的で簡単なものではありません。
しかし、技術を要する活動的なものであるがゆえに、受動的な娯楽のような休息よりも、効果的でより多くのエネルギーと活力を回復させてくれます。
戦略的な休息は、狭量や知識の偏りから人を守ります。
これこそが非常に多忙な仕事に携わる人が、休息にこだわり、熱心に強く推奨する理由です。
私自身、かつては休息とは、日々の仕事で疲れ果てたエネルギーを空想の「平常」に戻すための回復としか思っていませんでした。
つまり、マイナスをゼロに戻すことの意識しかありませんでした。
あまつさえ、ゼロに戻すことさえ怠った結果が2度のメンタルダウンにつながっていると確信しています。
戦略的な休息は、人生を通じて、あなたのエネルギーを回復し、より多くの時間を得て、より多くを成し遂げ、不要なことを遠ざけ、大切なことだけする後押しをしてくれます。
さらに、あなたが全力で挑むべき意義あるチャレンジや、困難でも最大の報酬を得られる仕事を見つけたり、それらに取り組むための必要な活力、時間、自由を創出します。
それが生きがいに繋がり、目的、喜び、仕事と報酬のバランスの取れた人生に導くことでしょう。
そのような人生を歩むことができれば、「満ち足りた有意義な人生だった」と思えるに違いありません。
・・・とは言え、その日はまだ先です。
私たちは誤解しがちなことに、極めてクリエイティブで偉業を成し遂げた人は若くして人生を終え、その素晴らしいアート作品や科学的発見、革新的技術は”自己犠牲の産物”だと考えがちです。
確かに早世の天才は数多くいました。
しかし驚くべきことに80歳以上も長生きし、最後まで活動的であった偉人や天才も数多くいるのです。
もしあなたが力を使い果たし、早死にしたいのであれば話は別ですが
健康に長寿を全うし、人生を楽しみ、生涯を通して何かに没頭しながら活動的でありたいのなら、戦略的な休息は間違いなくその助けになるはずです。
Apple創業者 スティーブ・ジョブズ
Appleのスティーブ・ジョブズは、人生における選択について、素晴らしい言葉を残しました。
焦点を合わせるということは、その対象に対して「イエス」という意味だと人々は考える
だがそれだけではない
そこにある他の100の良いアイデアにNoということを意味するのだ
選ぶのは慎重にしなければならない
私は自分がしてきたことと同じくらい、してこなかったことに誇りを持っている
イノベーションは1,000の物事にNoということなのだ
私たちが使っているNoという言葉は、悪いものに対してだけ使っているものではありません。
ものすごくたくさんの”良いもの”に対しても、
捨てがたいけど、断腸の思いでNoと言わなければいけない
それが自分のやりたいことの時もあれば、人から頼まれた時もある
全てにYesと言うことはできません
なぜなら私たちの時間と体力には限界があるから
それでも人は、自分が本来やらなければいけないことを後回しにしてでも、意に沿わないYesを答えるときがある
それが積み重なって行きつく先が、
疲弊であり、忙殺であり、自分を見失うということ
自分の人生と思えない時間を積み重ねることが
どれだけこころと身体を蝕んでいくか、
適応障害とうつ病になって初めて、自分が”それ”であることに気づきました
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Noをうまく言えるようになることは、
時間を上手く使ううえでも、
自分らしい人生を生きていくうえでも、
とても大切なことです
無意識のYesから、自分らしいNo
ローマ皇帝/哲学者 マルクス・アウレリウス・アントニヌス
世界一の地位に君臨したローマ皇帝 マルクス・アウレリウス・アントニヌスは自著である「自省録」でさらにこのように綴っています。
静けさを求めるなら、動きを減らすべきだ
つまり、絶対に必要なことのみを行うのだ
すべきことは少なければ少ないほどいい
不可欠なものはそんなには多くない
それ以外は排除すれば静寂が訪れる
いつの瞬間も自問するのだ
これは 真に必要か、と。
彼は哲学者でもあり、その哲学の核は「黙諾(acquiescence)」と言われる考え方があります
これは、一言で表すならば、
“自分のコントロールが及ばない事柄について心配しても意味がないという心の持ち方”です
受け入れて先に進む、しかし諦めとは異なる
力の及ぶものに集中し、変えようのないものに憤ったり、怖がったりしてエネルギーを分散させないようにする
人は嫌なことがあったとき、
怒りや否定、悲しみ、混乱、そして無力さが入り混じる感情を抱くものです
ときには他人や環境、不運のせいにしたりもします。
しかし、私たちの前に立ちはだかっているのは自分自身の考え方と姿勢です
目の前で起こる事象ではなく、それに応じる自らの態度のみをコントロールすることができる。
“事象自体が悲惨なのではない、恐れるから悲惨なのではない。死でさえも”
立ちはだかる壁や苦しみに立ち止まっても、成長や前進のきっかけにする
そのための近道こそが静かな内省です
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とは言え、言葉のように簡単ではありません。
感情の処理ができず、短絡的な行動に走ったり、見当違いのアドバイスを外に求めてしまったことはありませんか。
つらい悩みを抱えている時、まず考えるべき相談相手とは、内なる自分です。
内なる自分と正しく向き合うためには、
・独りよがりになったり、感情に身を委ねない
・穏やかに、そして簡単には動じない心を持つ
・闇雲に動かず、落ち着いて状況を見る
感情は大切ですが、判断や行動基準を曇らせたら意味がありません。
努めて冷静に、そうすれば何が起こっているのか、必ず見極めることができます
するとたいていは、”思ったほど状況は悪くない”と気づくものです
見ることと感知することは違います。
前者は外側からの客観的視点、後者は内側からの主観的視点です。
両者の溝を埋めることで、内省を深めていきましょう
内省は何事にも動じない”心の休息”を得るための必須スキルです。
つらく困ったときには、まず正しい”内省”を。